人との関わりが曖昧になりつつある現代こそ境遇が違ってもフラという異文化を通じ多くを語らなくとも分かり合える仲間を持てることは物を買い、一時的に満足するようなこととはかけ離れた人生の一ページになるはずです。
私がはじめてフラに触れたのは、まだお勤めをしていたOL時代に、会社のビップなお客様のご案内役を命じられ、ハワイへ行った際の事。自由時間に本場のハワイ伝統を学んで帰ろうとフラのショーを見に行ったのがきっかけでした。
その時までフラには古典フラ(カヒコ)と現代フラ(アウアナ)があることすら知らずにいたほど。
ただただ、仕事も忘れショーに見入り魂が揺さぶられるような感動と癒しを覚えたことを今でも鮮明に記憶しております。求めていたものがそこにはあったのでしょう。
見るだけでなくあんな風に踊って見たいとフラのレッスンを受ける意気込みで日本に戻りました。
ところが、仕事漬けの日常が目の前に。ノルマに追われる毎日の中、レッスンに通うのは遠い先の事。当時フラの教室も今ほどはなく、探す時間もなく、時は過ぎるばかり。
私の生きがいは何と自問自答しながら自宅と会社の往復の日々は続きました。
結婚を機に仕事を辞め、主婦になった頃、福島の常磐ハワイアンが舞台の映画フラガールが上映され、映画館に2度足を運び、やはり私にはこれだと確信。夫にはあまり理解を示してもらえないまま秘かにカルチャーの見学をしている中、チャンス到来。母がシェラトンホテルである先生のフラのパーティーを友人に誘われ見に行ったと聞き、すぐにその先生を紹介してもらう運びになったのです。
先生とアラカイさん(サブリーダー)の温かい指導の下、フラを通し数々の事を学び、いつしか私のようにフラには興味があるが、躊躇している女性のために始めの一歩を踏み出していけるお手伝いがしたいという思いが強くなり、そういう方々とともに成長していけるお教室を開講致しました。
レッスン間もなくから教育文化会館、共済ホール、市民ホールなどなどの舞台。
人前で踊ったことのない私には想像しなかったことです。ハワイの有名アーティストとのジョイントコンサート、小錦さんと奥様のコンサート、震災のチャリティーコンサート、骨髄バンクのチャリティーコンサート、老人施設や病院への慰問、地区センターでのお祭り参加、大通り公園やファクトリーのイベント参加など、OL時代にはありえない形での社会参加をして参りました。仕事をしながらでももっと早く始めていればと今になって思います。
先生の師事した名門クムのオラナ・アイさんの踊りを受け継がせて頂いたことやその長女で歌姫でありミス・アロハにも選ばれたナタリー・アイ・カマウ―の日本公演の舞台にたたせて頂けたこと、ナタリーさんのセミナーで新曲を学べたこと、涙そうそうの原曲者ケアリー・レイシェルのワークショップなど数々の経験を積むことが出来ました。
舞台前はハラウ(教室)の仲間とともに同じ目的に向かい真剣に練習を重ねて、そのなかでALOHAの精神を学び、踊りのテクニック以外に心を一つにする事の大切さを学びます。
境遇も年齢もまちまちの仲間がいつしか家族のような間柄になって行くのです。
フラは連舞なので心を一つにしないとバラバラな踊りになってしまいます。
私にはフラを始める前には腰痛と坐骨神経痛があり、ヨガやマッサージでなんとか持ちこたえておりましたが、毎回のレッスンでカホロやアミといったベーシックなスッテップを重ねるうちに、骨盤の歪みがとれ今では全く痛みがありません。
また、多少のストレスがあっても頭を空っぽにして踊りをマスターすることによりリラクゼーションの効果もあります。
フラのすばらしさは健康維持や若々しさを保てるところにもあり、年齢を選ばず、お子様から年齢を重ねた方まで出来るところにもあります。愛や自然、神への敬意などを表現する事で、いくつになっても女性である事の喜びを忘れずにいる事のできる唯一の踊り、それがフラです。
癒しを求めている方、いくつになっても若々しくいたい方には是非おすすめです。